たかの友梨ビューティクリニックとは?成り立ちについて

最終更新日 2024年4月3日 by anyway

「たかの友梨ビューティクリニックに一度行ってみたい」
「たかの友梨さんってどんな人?」
「たかの友梨さんのエステで社員として働きたい」

たかの友梨ビューティクリニックといえば全国展開するエステサロンで、日本を代表すると言っても過言ではないです。
技術力の高さや接客などのサービス品質、そして新しい施術を積極的に取り入れる姿勢が評価されています。
知名度が高い理由は長年の歴史と、地道に積み上げられてきた実績もさることながら、やはり名前にもあるたかの友梨さんの存在が大きいといえるでしょう。

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たかの友梨さんとは

たかの友梨さんは現在、会長を務めている人物で、こちらも日本を代表するエステティシャンです。
エステティシャンで更にアンチエイジング美容研究家として、70代にありながらも精力的に美の追求を続けているバイタリティ溢れる人物です。
たかの友梨さんはたかの友梨ビューティクリニックの会長職以外にも、一般社団法人の会長や厚生労働大臣指定学校法人の理事長、ミス・ユニバースの審査員なども務めています。
他にもNPO法人の副理事や児童養護施設の後援会長、ボランティアに寄付といった社会貢献活動もしているのが特徴です。
つまり、美の追求を続けている傍ら、子供の支援にも取り組み力を入れているわけです。
その理由は本人が子供時代に辛い思いをしたことが大きく、苦労をして美容業界で成功した経緯があるからだといえます。

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たかの友梨さんの生い立ち

1948年に新潟で生まれたたかの友梨さんは、医師の父と看護師の母という家庭に生まれました。
一見すると裕福そうですが、実は両親は不倫関係にあって、その間に生まれたのがたかの友梨さんというわけです。
父に本当の妻がいたわけですが、不倫関係が発覚して大きな問題となり、たかの友梨さんの両親は別れてしまいます。
一時は父親と一緒に生活してましたが、そこに現れた継母とは反りが合わず、あまりの仲の悪さにたかの友梨さんは養子に出されることになりました。
この時点でも既に過酷な人生といえますが、更に養子先が養育費目当てで面倒をしっかり見なかったことも、たかの友梨さんの人生に影響を与えています。
しかし幸いなことに、その後は優しくて愛情を感じさせる夫婦のもとに引き取られました。
ところが、再び父親に他の女性がいることが発覚して、その両親は離婚してしまいます。
以降は母親と共に群馬県で生活をすることになり、そこでたかの友梨さんは自ら命を捨てようとしてしまいました。
本人は大人に対する不信感が大きくなっていて、誰も信じることができないばかりか、周りから心無い言葉が掛けられることも多く、それが切っ掛けになってしまったようです。
秋の終わりに川に足を踏み入れたたかの友梨さんは、あまりの冷たさに冷静さを取り戻すことになります。
自分が生きてきた理由とは何か、このままでは終われないという強い気持ちが芽生え、自分の力で生きようという決心を固めます。

美容業界に足を踏み入れたのは16歳の頃

それこそがまさにたかの友梨ビューティクリニックを代表するたかの友梨さんが誕生した瞬間で、成功への階段を駆け上がることになります。
美容業界に足を踏み入れたのは16歳の頃で、群馬県の理容店に住み込みで働きはじめました。
当時は定時制高校に通っていたので、働きながら学校に通い勉強をしていたわけです。
理容の方面で活躍したいという思いから、昼間は理容店で夜は学校という生活を送っていました。
学校から帰っても休まずに練習に打ち込んでいたので、メキメキと技術がついて上達することになります。
それはコンクール入賞という形にもあらわれていますし、日本一になるという目標にも繋がっています。
20歳になり、たかの友梨さんは上京して理容師として働く夢を叶えました。
ただ、当時は男社会で女性の活躍の場が限られていたことから、美容師を目指すことに決めます。
美容師は女性の髪を切る仕事というイメージが根強かった当時、たかの友梨さんは男性向けの美容院を作ることにしました。
これは当時としては驚きですし、大成功を収めている実業家だけあって、先見性が優れていることが分かるエピソードです。

ストレスもあってニキビに悩まされる

美容学校の通信教育を受けることになり、再び仕事と学業の日々が続くかと思いきや、両立は難しいと判断して理容師の仕事を辞めてしまいました。
たかの友梨さんは努力家で決して諦めない人物ですが、ストレスもあってニキビに悩まされることになります。
このニキビと戦う中で化粧品店に通い、そこで出会ったビューティーアドバイザーという職業があることを知ります。
ビューティーアドバイザーになれば美容の専門的な知識が身につき、化粧品を使うこともできると気がつきます。
たかの友梨さんは外資系の化粧品会社の募集に応募して、ビューティーアドバイザーの道を歩むチャンスを手にします。
その時に約8ヶ月間フランスへと渡り、エステに関する修行に打ち込み、帰国してから1972年にたかの友梨ビューティクリニックを設立しています。

まとめ

これがたかの友梨さんの生い立ちであり、たかの友梨ビューティクリニック誕生に至るまでの流れです。
それからは美顔器の開発や海外の美容技術を日本に伝えたり、美容技術の開発にも取り組み続けてきたことで、今日のような成功を収めるに至っています。